止まってしまえばいいのに
どんなにそう思っても季節は巡ることをやめず
冬の女王は静かに去り行き
空気は再びゆるやかに膨張を始めた。
私たちは操られている。
目に見えないものに、終わることなく私たちは操られている。
帰路を示す細い光の糸はやや薄らいだものの
まだ私を、私の待つ空間まで導き続けてくれている。
それは風のある日だった。
深い夜が完全に降りてしまう前の宵闇迫る街の片隅
細長く延びた帰り道を歩いていると
その闇の中を白木蓮の花がぼうっと浮かぶように咲いていた。
どこに出かけるにも帰るにも
いつだってこの木の下を通っているのに
咲くまでは見上げることも白木蓮だと気付くこともないのにね
薄情なものだと罵る自分を小さく押し込めて
その美しさに見とれて足を止めた。
白木蓮は怪しげに美しい。
膨らみゆく青々としたこの季節の空を背景に見るのも映え気品高く美しいけれど
私は闇に浮かぶこの姿に見惚れる。
闇に浮かぶのは
この乳白色の繭の一つ一つにきっと
妖精や精霊みたいなものが宿っているからで
その繭の花びらの中から地上の営みを静かに静かに見つめているのだ。
そして夜毎、音も立てずに
私たちの知らない世界の言葉で知りえない話しをしているのだ。
だから私は恐れながらも
この花の怪しさに惹かれてしまうのだ。
足を止めた私の横を
私が来た方向からおじいさんが歩いて来て
通り過ぎて行った。
けれどいくらか背の曲がったそのおじいさんは足や腰を弱めているのか
その歩みは引きずるようにとてもゆっくりで
通り過ぎてゆくのにも時間がかかるほどだった。
買い物の帰りなのか、手にはスーパーの袋が握りしめられていたけれど
袋の中身はそれほど重たくなさそうだった。
それほど気にすることもなく
私は白木蓮のもとに立ち尽くし
それからしばらくしてまた歩き始めると
少し行ったところでさっきのおじいさんに追いついてしまった。
その細長い道の前方にも後方にもはおじいさんと私の他に人気はなかったけれど
私の頭はまだ白木蓮を追いかけていたり
暗がりということもあって
前方をゆくおじいさんのシルエットを捉えてから
追いついてしまうまでに時間はかからず
一瞬心の中では躊躇したものの
勢いそのままに、おじいさんを追い越した。
その時、私は自分に対してとても嫌な
罪悪感に似た気持ちを覚えた。
自由の利かない体でやっとの思いで歩いてきた道のりを
そんな苦労も知らないような私のような者に
あっという間に追いつかれ、あっという間に追い越される。
それはどんな気持ちだったことだろうと思い
いたたまれなくなった。
おじいさんの歩みは本当にゆっくりなので
私がおじいさんを追い越さなくて済むほど
ゆっくりと歩くことはできなかっただろうし
一本道だったので他の道へと逸れることもできなかったから
追い越すのはやむを得なかったといえばそうかもしれない。
それに白木蓮のもとでおじいさんが通り過ぎてゆくのを見ていたのが私だったとは
おじいさんは気付いていなかったかもしれない。
それでも私はやりようのない申し訳ないような気持ちでいっぱいになった。
歩みを遅めるべきだったか・・・
せめて「こんばんは」と挨拶をすればよかったのに・・・
追い越した時の自分に対してそんな後悔の念を抱きながら歩き続けていると
ふと、道の脇に茂った草々のしなやかにそよぐ姿が視界に入り
ハッとした。
おじいさんはつらく思うことも羨んでもいない。
私が白木蓮に目を奪われたように
おじいさんの歩みだからこそ目に映る美しい花があるに違いないし
ゆるみ始めた空気とその季節を体いっぱいに感じ
ひとり静かに楽しんでいたかもしれない。
おじいさんは歳を重ねておじいさんになったのであり
私が自身を咎め懸念しているこれらのことなどは
おじいさんにとっては
時の過ぎ行く中でとうに受け止めて来ていることであって
それは逆らうことのできない人の生であって
そうしておじいさんはゆっくり
ゆっくりと
今こうして穏やかに歩んでいるのかもしれない。
あぁ、私はなんと浅はかであることよ。
エゴを押し付けようとして
勝手に思いめぐらして
おじいさんをどんな思いで見ていたというのだ
私は何だというのだ
なんと失礼なことだろう・・・。
それもこれもやっぱり私の勝手な思いに過ぎないのだけど。
やわらかで、まだ少し冷たい春の夜風に吹かれながら
少し笑った。
後ろを振り返ってもそこにおじいさんの姿はなく
今あったことや私の心にあったものは
あの白木蓮に見せられた幻のようにも思えた。
そんな夜だった。
恩師の訃報を知った。
画家であり
私が中学生の頃に通っていた絵画教室の先生。
土曜日の夕方、部活を早退して通った近所のアトリエ。
先生の自宅に併設されたそのアトリエの壁面には絵が描かれていて
そのアトリエ内のウッドタイルの床や壁に染み付いた油絵の具のにおい
イーゼルには先生の制作中の大きなキャンバス
整然と並ぶ石膏像
レコードプレーヤーから流れるクラシック
その中をひとり、私は与えられたモチーフを前にデッサンや静物着彩をした。
時々、先生がアトリエに入ってきて指導や直しを受ける時は緊張したものだった。
アトリエには絶えず硬質な空気が漂い
近寄りがたいような
けれど、私はその静謐な空間が好きで
そこに崇高なものを感じ
それが後まで通ずる絵画や制作に対する精神を育んでくれた
重要なひとつの体験となっている気がしている。
私がアバタのヴィーナスを描き上げた時には
日ごろはあまり表情を出さない先生がとても喜んでくれたのを覚えている。
恥ずかしく、うれしかった。
そのアトリエに通ったのは高校に上がるまでのわずか数年のことで
以後、先生と会う機会をあまり持つことができないまま来てしまったけれど
本当に大切な時間を過ごさせてもらった。
その恩師が亡くなっていた。
昨年の秋のことだそうだ。
ご冥福をお祈りいたします。
いることといなくなること
そのふたつを近くに感じる
この春。